所長だより 41号

 五輪原(ごりんぱら)から 5月7日 第41号

「桜(シメイヨシノ)散り始め、八重桜満開」

今日は、5月7日、朝から少し雲が多めですが、晴れています。猪苗代町は、
とてもさわやかな朝を迎えました。間もなく田植えも始まりそうです。
四月下旬に、桜の開花のお知らせをしたところですが、その桜(ソメイヨシノ)
は少しずつ散り始め、5月のさわやかな風に舞い始めました。所内には、八重桜
があり、この桜が今満開を迎えています。
数年前にNHK大河ドラマで、女優の綾瀬はるかさん主演の「八重の桜」が放
映されましたことは、みなさんの記憶に新しいと思います。タイトルの「八重の
桜」は八重桜と綾瀬はるか演じる主人公「新島八重」をかけたものではないかと
思います。
新島八重は、旧姓「山本八重」。1845年会津藩の砲術師範「山本権八・佐
久夫妻」の子として誕生。会津藩校「日新館」の教授を務めていた「川崎尚之助」
と結婚。1868年の会津鶴ヶ城籠城の際、幼いころから父や兄に教えてもらっ
たスペンサー銃で奮戦しました。
1871年、当時京都府顧問として活躍していた、兄 山本覚馬を頼って上洛
し、兄の推薦により京都女紅場(府立第一高女)の権舎長・教道試補として活躍。
その後、のちの同志社大学の設立者「新島襄」と再婚。1876年には、同志
社女学校を開設しました。
新島襄の死後、日本赤十字社の正社員となり、1894年の日清戦争では広島
の陸軍予備病院にて篤志看護婦として4か月従軍、1904年の日露戦争でも、
大阪の陸軍予備病院で篤志看護婦として2か月間従軍し、それらの功績により
昭和天皇から銀杯を下賜されました。1932年、86歳で亡くなっています。
新島八重は、その生涯により、「幕末のジャンヌダルク」「会津の巴御前」「元
祖 ハンサムウーマン」「日本のナイチンゲール」など称されています。
新型コロナウイルスが猛威を振るう中、罹患された方々への献身的な治療、看
護等、医療関係従事者の方々のご苦労に対し、心から感謝申し上げます。先日、
緊急事態宣言期間の延長が示されましたが、もちろん自分自身やご家族、大切な
方々の命を守る観点とともに、なんとしても医療機関の崩壊を防ぎ、お医者様、
看護師の皆様のご労苦、ご負担をこれ以上かけないようにするために、不要不急
の外出自粛や県外をまたぐ往来等の自粛を根気強く続けていきたいと思います。
(文責 所長 福 士 寛 樹)

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